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グロスター (HMS Gloucester, C62) は、イギリス海軍のタウン級軽巡洋艦。艦名はイングランド南部の都市グロスターに因む。「''The Fighting G.''」の愛称で呼ばれた。 ==艦歴== グロスターはプリマスのデヴォンポート造船所で1936年9月22日に起工した。1937年10月19日に進水し、1939年1月31日に就役した。 1939年9月、グロスターは第4巡洋艦戦隊の旗艦として東インド諸島で活動し、その年の残りはインド洋の哨戒に費やした。12月に南アフリカのサイモンズタウンに移動し活動した。 1940年5月に地中海に移動し、多くの戦闘を経験することとなる。6月にはMA3作戦で出撃中に他の巡洋艦4隻と共にイタリア駆逐艦3隻と交戦した(エスペロ船団の戦い)。7月7日にアレクサンドリアを出航し、翌8日にイタリア軍の空襲を受ける。艦橋に攻撃を受け多くが死傷し、その中には艦長のF・R・ガーサイド大佐も含まれた。その後1940年の後半は地中海東部およびエーゲ海で活動した。 1941年1月、MC4作戦に参加。11日、軽巡洋艦サウサンプトンと共に航行中であった時にドイツ軍機による攻撃を受けた。この攻撃でサウサンプトンが失われた。また、グロスターにも爆弾1発が命中したがこれは不発であった。 3月にはマタパン岬沖海戦に参加し、4月には北アフリカ沿岸に対する何回かの砲撃に参加した。その後もう一度爆弾の直撃を受け小さな損害を受けた。 グロスターはクレタ島へのドイツ軍輸送部隊に対する艦隊の1隻としていくつかの戦果を挙げた。1941年5月22日、クレタ島北方14マイルのキセラ海峡においてドイツ軍のユンカース Ju 87急降下爆撃機の攻撃を受け、少なくとも4発の直撃弾と3発の至近弾を受け沈没した。723名が死亡し、82名が救助された。グロスターの沈没はイギリス史上最悪の戦時災害の1つとして考えられる。 グロスターの最後はBBCによって特集番組が制作された。これによればグロスターの急送は単艦で燃料も対空砲の弾薬も僅かなまま(弾薬の残量は2割未満だったという)行われ、「重大な誤り」だったとされる。更に、日没後生存者の救助を試みなかったことは「通常の海軍慣例に反する」ものであった。生存者は「海軍の伝統では船が沈んだ場合、闇に乗じて生存者を救助するための船が派遣される。それは行われず、なぜなのかも分からない。我々はドイツ軍によって救助された。」と語った。 グロスターの沈没に関する別の調査はBBCのものとは異なる。これによればグロスターとフィジー (''HMS Fiji, C58'') の両艦が弾薬の僅かなまま駆逐艦グレイハウンド (''HMS Greyhound'') の生存者を救助するため急送され、猛烈な空襲のため弾薬を消耗した。2隻は後退の許可を得たものの、グロスターが沈められたのは後退途中のことであった。フィジーもその日の内に沈められた。 グロスターの沈没現場は軍事遺跡法によって保護されている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「グロスター (軽巡洋艦・2代)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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